カンボジアの歴史
カンボジアは古代世界一の人口を誇る
大都市だった!
カンボジアにはかつてアンコール王朝という都が栄えていた。
13世紀のフランスパリの人口はおよそ16万人。対するカンボジアはなんと100万人!世界一の人口を抱える都市国家を形成していたよ。(日本は江戸時代に100万人都市となって世界一になるよ)
その繁栄の象徴とも言える巨大寺院が
『アンコールワット』!
ヒンドゥー教のお寺だ。
このアンコール遺跡を見に世界中から約300万人もの人がカンボジアを訪れているよ。
内戦
そんなカンボジアに悲劇が訪れる。
アンコール王朝が滅亡してからは隣のタイに征服され、その後フランスの植民地となったカンボジア。
長い戦争の末、1953年にやっと独立したと思ったら、今度は隣の国ベトナムで起こったベトナム戦争に巻き込まれてしまう(泣)
この時カンボジアは敵対するベトナム軍の侵入を受け、さらにそれを爆撃しようとするアメリカ軍の空爆を許してしまう。(もうどっちが敵か味方かワカラナイ状態)
そんな国の一大事を救ったのがポル・ポト率いるクメール・ルージュという集団だった。
ポル・ポト政権
ポル・ポト政権は最初こそ国民に歓迎されたが、次第にその狂気の政策が明らかになっていく。
クメール・ルージュが行ったのは原始共産主義と言って、都市部の市民を強制的に地方へ移住させ、農業を行うことで国を運営するというものだった。
逆らう者は反逆罪で処刑。先生や医者など知識を持つ者は反乱する「可能性」があるとして処刑。何かと理由をつけて国民を処刑しまくるトンデモナイ政権が現れてしまった。
当時虐殺された人は600万人の人口に対して200万人〜300万人にも及ぶとされている。
そんな暗黒の時代が今から数十年前、ちょうど俺が生まれた頃に起きていた。
現在も残る問題の数々
クメール・ルージュはその後内戦に敗れて、カンボジアはようやく民主化の道を歩むことになる。
しかし、全国に埋められた地雷の数は600万〜1000万個。
また、労働年齢層を虐殺で失い、医者や教師など国を支える人材の多くを虐殺で失ってしまった。
さらに知識不足からHIVウィルスが蔓延し、エイズ患者の数が急激に増えていた。
親を失った子ども達は孤児となり、生きていく希望を失う状態が続いた。
明日への希望
そんなカンボジアに大勢の人が世界中から訪れた。そしてこの国の現状を『何とかしよう』と立ち上がる人々がいた。
ある者は井戸を掘りきれいな水を飲ませた。
ある者は病院を作り、病気で死んでしまう命を救った。
ある者は孤児院を作り、親を亡くした子ども達を大人になるまで育てた。
そしてある者は学校を作り、未来の子ども達を教育した。
そんな外国人の助けを借りながら、カンボジアという国は今、大きく変わろうとしている。